「いじめを見て見ぬふりは同罪」
これは私が子供の頃にも聞いたことがあるので、ずいぶん前から言われていた言葉です。
先日、娘がこんなことを聞いてきました。
「いじめをしている人が悪いのに、見て見ぬふりをする人も同罪って言われるのはどうして?」
あなたはすぐに答えが思いつきますか?
私はすぐには答えられませんでした。
「いじめられている人を助けてあげようと思う気持ちが大切」
「いじめは悪いことだから見て見ぬふりをしてはいけない」
こういったことなら思いつきますが、どうしていじめを見て見ぬふりするのが同罪なのか・・・。
いじめを見て見ぬふりをすることについて調べているうちに、
「わたしのせいじゃない~せきにんについて~」
という絵本に出会いました。
いじめについて考える時に手にしていただきたい絵本です。
どうしていじめを見て見ぬふりすることが同罪なのか、いじめを見たらどうすればいいのかなどを一緒に考えてみませんか?
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いじめを見て見ぬふりをすることは同罪なの?
いじめを見て見ぬふりをすることは同罪です。
幇助(ほうじょ)していると考えるとわかりやすいかもしれません。
幇助の意味は、辞書に次のように書いてあります。
手をかすこと。手助け。援助。
他人の犯罪行為を容易にするため、有形・無形の方法で助力すること。
飲酒運転にも幇助の罪がありますよね。
運転者が飲酒しているのに同乗すると同罪です。
私はいじめは犯罪だと思っています。
悪いことをしているのをわかっていながらも、見て見ぬふりをするのはいじめを幇助していることになるのではないでしょうか。
「いじめられているのがもしも自分だったら?」
「いじめの被害者がもしも我が子だったら?」
相手の気持ちになって想像力を働かせてみると、見て見ぬふりはできませんよね。
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絵本「わたしのせいじゃない」が訴えること
わたしのせいじゃない [ レイフ・クリスティアンソン ] |
「わたしのせいじゃない」という絵本はスウェーデンで生まれました。
白黒のほのぼのとしたイラスト。
サブタイトルが「せきにんについて」となっているけれど、押し付けがましくない内容です。
「こうだからこうすべきだ」
というようなことは全く書かれていません。
ひとこともしゃべらなかった
ぼくたちをみつめていただけだった
さけべばいいのに
わたしのせいじゃない
「怖かったから何もできなかった」
「大勢でやっていたから止められなかった」
「始めたのは私じゃない」
「自分が先生に言いつければいいのに」
ページをめくる度に色々な子供の考えが書かれています。
どうしたらいいのかが書かれている絵本ではなくて、どうしたらいいのかを自分で考えることができる絵本です。
いじめを見て見ぬふりするのは良くないことなのは当然で、誰しもそれは分かっています。
では、どうしていじめを見て見ぬふりしてしまうのでしょうか?
どうしていじめを見て見ぬふりするの?
いじめを見て見ぬふりしてしまうのは、助けると今度は自分がいじめられるからです。
先日、友達のお母さんと話しをしていてとても考えさせられたことがあります。
ある小学校に通うお子さんがいじめにあいました。
そのお子さんは中学でいじめっ子と離れるために、同じ小学校からの友達はほとんどいない中学校に入学しています。
その子のお母さんは、引っ越しをしてもいいとさえ考えたくらいどうにかして解決しようと奮闘しておられました。
ところが、中学に入学して間もない頃、またいじめにあってしまったんです。
そのお子さんは親御さんに相談しました。
親御さんは担任の先生に相談しています。
そして、先生がいじめの加害者を指導しました。
これで解決するのかと思った矢先、「チクった」「卑怯者」と言われてさらにいじめられるようになってしまったんです。
そのお子さんは、それをきっかけに学校に行くことができなくなってしまいました。
それからもう数年経過しているそうです。
この話しを聞いた時に色々なことを考えました。
我が子がいじめにあってしまった親御さんの気持ち。
たくさんの経験をするはずだった学校に行けなかったお子さんの気持ち。
今もその加害者はのうのうと生活しているのに、被害者のお子さんは学校にすら行けなくなってしまったなんて。
どうして学校の友達は見て見ぬふりをしたんだろう・・・。
そのお子さんと同じクラスだった人は、
「止めたかったけど、そんなことをしたら今度は自分がいじめられる」
と言っていたそうです。
今度は自分かもしれないという恐怖心から、見て見ぬふりをしてしまう気持ちはわかります。
けれども、自分がいじめられていたら誰か一人でいいいから声をあげてほしいはずです。
では、いじめを見てしまったらどうすればいいのでしょうか?
いじめを見たらどうすればいい?
いじめを見た時には、その場で声を出すことができなくても先生に報告しましょう。
報告する時は、いじめをやめさせたいと考えている友達を集めて大勢で先生に報告するのが効果的です。
できるだけ信頼できる先生に相談してください。
どうして友達を集めるのかというと、学校によっては大事にならないと動かない可能性があるからです。
いじめている側は、自分がいじめている人に大勢の仲間がついたらひるむ可能性もあります。
集めた仲間と一緒にいじめられている人を支えてあげてください。
私が中学生の頃、次のような経験をしています。
ある日の放課後、同級生の中心グループが下級生を取り囲んでいるのを見つけました。
私はとりわけ正義感が強いタイプではありませんが、その下級生が私の仲良しの後輩だったのでとっさに「やめてあげて」と言ったんです。
そこですんなりやめてくれましたが、なぜか私がいじめの主犯格扱いになって後日先生に呼ばれてしまいました。
このできごとをきっかけに陰口を言われたりしています。
教科書やノートに落書きをされたこともありました。
けれども、学校に行かなくなったりはしていません。
少人数でも一緒にいてくれる仲間がいたからです。
一人で耐えることはできなかったでしょう。
こういった経験があるので、いじめを見たらその場で声を上げてとは言えません。
しかし、先生に報告はすべきだと思っています。
いじめを見て見ぬふりするのはやめよう!
今回は、いじめを見て見ぬふりするのは同罪なのかについてお伝えしました。
いじめを見て見ぬふりすることは、いじめを助長しているのと変わりません。
いじめを受けている人は、あなたが幸せな気持ちでベッドで眠りにつく時も明日の不安に怯えています。
テレビを見ても笑うことさえできないかもしれません。
授業でグループにならないといけない日は地獄です。
入ろうとするとあからさまに嫌な顔をされるから。
いじめを受けている人の気持ちを自分に置き換えてみてください。
仲間と一緒にいじめられている人の支えになってあげてください。
もしも今あなたがいじめられている場合、ご両親に相談しにくいかもしれません。
私はそうでした。
「心配をかけたくない」
「知られたくない」
親になった現在、我が子に話していることがあります。
「ささいなことでも相談して欲しい」
「必ず助けるから」
「学校だけが全てじゃない」
学生の頃は学校という存在が大きく感じるかもしれませんが、大人になると関係ありません。
閉ざされた世界から脱出できますよ。
苦しいなら、学校へ行かないという選択肢だってあります。
「あなたは誰かにとって大切な存在です」
「あなたの友達も誰かにとって大切な存在です」
あなたの近くにいるたった1人を助けてあげてください。