「慙愧(ざんき)の念に堪えない」
謝罪会見などで使われますよね。
「慙愧の念」とはどういう意味なのでしょうか?
今回は、
- 「慙愧の念」とは?「慙愧」の意味
- 「慙愧」の類語
- 「慙愧」の対義語
- 「慙愧」を使った例文
などをお伝えします!
「慙愧の念とは?」って思ってるかたの参考にしていただけると嬉しいです(*^^*)
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「慙愧の念」とは?どんな意味?
「慙愧の念」とは、自分のおこないを反省し恥ずかしく思う気持ちです。
「慙愧」の意味を見てみましょう。
出典:現代標準国語辞典
慙愧(ざんき)
- 自分のおこないを恥ずかしく思うこと
- 自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること
参考:現代標準国語辞典・goo辞書「慙愧(ざんき)の意味」
「念」も見てみます。
出典:現代標準国語辞典
念
- 心の中の思い・気持ち
- よく気を配ること
参考:現代標準国語辞典
心の中に抱くおもいの「念」と、自分の行いを反省して恥じる「慙愧」。
「慙愧の念」は、反省とともに深く恥じる気持ちを表しています。
「慙愧」の類語
「慙愧」の類語はこちらになります。
- 羞恥(しゅうち・恥ずかしく思うこと)
- 反省(はんせい・自分が言ったことやおこなったことをふり返ってよく考えてみること)
- 悔恨(かいこん・自分の失敗や行いを後悔し、残念がること)
- 忸怩(じくじ・自分がした行動について、たいへん恥ずかしく思うようす)
「恥ずかしく思うこと」「自分の行いを後悔したり反省する」意味を持つ言葉が、「慙愧」の類語になります。
「慙愧」の対義語は?
「慙愧」の対義語はこちらになります。
- 無慚(むざん)・・・自分の犯した罪を、仏の教えを破りながらもそれを恥じない心
- 無愧(むき)・・・自分の罪を他人に対して恥じない心
漢字が違うけど、鬼滅の刃の「無惨(むざん)」が浮かびました!
「無慙」「無愧」は、仏教語です。
「慙愧」の例文(使い方)
「慙愧」の例文はこちらになります。
- このような結果になってしまい、慙愧に堪えません
- この度の不祥事については、慙愧の至りでございます
- 自分のおかした失態を思い出すたびに、慙愧の念にかられる
「堪えない」は、「そう思う気持ちをおさえられない」という意味があります。
「慙愧に堪えない」→「自分のおかしたことを反省して恥じる気持ちをおさえられない」
「至り」は、「これ以上はない状態」という意味があります。
「慙愧の至り」→「これ以上ないほど自分のおかしたことを反省して恥じる」
自分のおこないを深く反省し恥じる時に、「慙愧」を使いましょう!
「慙愧の念」まとめ
今回は、「慙愧の念」の意味などをお伝えしました。
以下がまとめになります。
慙愧の念とは
- 自分のおこないを反省し恥ずかしく思う気持ち
- 「慙愧」の意味は、「自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること」
最近「慙愧」したことはありますか?
自分の失態などを思い出すのってしんどいですよね((+_+))
「慙愧」の由来は仏教語で、「慙」は「自分に恥じる」、「愧」は「世間(外部)に対してその気持ちを示す」と解釈されているそうですよ。
とにかく、「慙愧」の意味がわかってスッキリしました!
あなたとご家族が、笑顔あふれる日々でありますように☆